東日本大震災から10年

2011年3月11日 午後2時46分 東日本大震災発生

あれから10年が経ちました。

あの日、私は4月に行われた常滑市議会議員選挙の準備のため、発注してあった選挙用のタスキを取りに行っていました。店内で話をしているとき、違和感のある眩暈を感じましたが、疲れか何かかなという程度にしか思っていませんでした。帰る車に乗り込むと、テレビからは「大津波警報が発令されました」「直ちに逃げてください」という聞きなれない報道により、大変な事態が起きていたんだと気づきました。その後会社に戻り、夜中までテレビの前から離れることはなく、ただただ報道される映像を見続けていました。

当時、統一地方選挙が全国で控えており、被災地は選挙どころではありませんが、日本中で「このような時に選挙をやるのはどうか」といった国民感情もありましたが、被災地以外は通常通り行われた自治体ばかりだったのではないでしょうか。常滑市議会議員選挙も予定通り行われましたが、立候補者として拡声器を使いどこまでやっていいものか、戸惑いながらの初陣であったことを思い出します。ただ、間違いなくこれまでの地方選挙で最も「安全」「防災」について訴える候補者が多かった選挙ではないでしょうか。

私も初めて見る広域での大災害に、やはり「命が一番」ということを強く思い、そのことも訴え選挙に臨み、当選しました。以来県議、市長と立場は変わりましたが、今日に至るまで、私の政治活動の一番太い柱は命を守る「安全」であり、東日本大震災が私にそのことを教えてくれました。

市議会に当選して1か月余が過ぎた6月、震災発生からおよそ3か月後に初めて被災地を訪れました。夏服が必要になるだろうと、ボートレース事業局などからTシャツをかき集め、被災地避難所へ届けてきました。訪れた街は散乱した瓦礫、流された車や人々が暮らした日用品などで埋め尽くされ、港では冷凍庫から流れ出てしまった異臭を放つ腐った魚や船の油が流れ出し、街なのに誰もいない静寂に包まれている。テレビでは決して伝わらなかった被災地に立った時、言葉を失い、悲しみがこみ上げ、涙が溢れました。

以来、何度も被災地を訪れ、復旧・復興の様子を見させていただきました。1年後の2012年に再び訪れた時には、散乱した瓦礫はまとめられ、大きな山となっていました。瓦礫はなくなったものの、建物や鉄道の駅、道路や橋などは崩壊したままの箇所ばかりでした。

また2016年に訪れた際には、基礎だけになっていた大きな住宅街が、整地されて綺麗になっていました。しかしそこには1件の家もなく、震災遺構として残された建物に掲げられた「ここには町がありました。私たちが愛する町がありました。」という言葉を見て、こみ上げてくるものがありました。また同時に、被災者にとっての本当の復興までには何年かかるのだろうかと思いました。近年、被災地を訪れることはできていませんが、まだまだ復興は道半ばなのだと思います。

乗り越えるには余りにも重く、大きな悲しみを抱えながら、復興のために力を尽くす被災地の皆さんに対して頭が下がる思いでありますし、私たちにもできることを何かという気持ちを忘れてはなりません。10年たった今、また近いうちに被災地を訪れ、道半ばの復興をこの目で確かめると共に、ほんの少しでも飲食や宿泊など消費での支援をできればと思います。

私たちの地域もいつ何時、大きな自然災害に見舞われるかわかりません。被災地で起きたことを、後世にしっかりと伝えていくのは我々の役目です。10年たった今、改めてご家族などで災害が起きた時にどうするかなどを話し合って欲しいと思います。

また行政を預かるものとして、東日本大震災で感じた「命が一番」を決して忘れることなく、いかなる災害が起きようとも、常滑市民の誰一人失わないという気持ちを強く持ち、「安全」に対する施策をしっかり進めることを、改めてお誓い申し上げます。

東日本大震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りすると共に、これまで10年間、故郷の復興にご尽力された被災者の皆様、様々な形で被災地復興に関わってきた皆さまに心よりの敬意を申し上げます。

被災地・東北の素晴らしい未来を心より願います。

2021年(令和3年)3月11日

常滑市長 伊藤辰矢

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伊藤 辰矢

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。