ブラジル・アルゼンチン訪問団⑨「番外編」

ブラジル・アルゼンチン訪問団の記事もいよいよ最後の更新となります。

海外はいくらかは行っているのですが、今回、ブラジル、アルゼンチンを訪問しましたが、私にとって南米は初めてでした。調査項目ではなく、移動、食事、街の雰囲気など感じたことを少し書きたいと思います。

【サンパウロ】

南米で最初に到着したまちです。サンパウロというか南米、確かにとても遠い。飛行機の時間も大分かかりました。空港から市内中心部へ移動するときに、まず思ったのがラクガキがとても多いこと。外国はラクガキが多いイメージですが、特に多いような。ただ、中にはとても上手なものもあり、ラクガキが評価され、ビジネスに発展していくケースも多いのだとか。先日、オークションで話題となった、落札直後にシュレッダーが作動して作品が刻まれた「バンクシー」も街中に作品を残すことで有名ですが、政治的なメッセージを持つ作品は、「ラクガキ」ではなく、「芸術作品」となっています。いずれにせよ、とにかく街中の壁はカラフルです。

サンパウロは土日に滞在したこともあり、ホテルの近くでは大きな通りが長きにわたり歩行者天国となっていました。夕食前の時間を利用して歩いてみると、その通りでは数々のアーティストによるコンサート、ダンスなどが行われていました。皆さんお酒を片手に踊ったり、思い思いの過ごし方をしていました。歩行者天国も何となくやるのではなく、ここまでやると盛り上がるというのを見た気がします。

また、大統領選挙直前ということもあり、応援する陣営のキャンペーンが行われていました。もちろん何を主張しているのか分かりませんが、国旗を掲げながら、シュプレヒコールをあげて行進していました。日本と違うのはどの陣営も国旗を掲げていることです。自分たちの国をという気持ちが伝わります。さらに、ブラジル、アメリカ、イスラエル、コロンビアの国旗をもつグループもいました。自分のルーツなのか分かりませんが、混血が大半のブラジルらしさを垣間見ることができました。

 

【ブエノスアイレス】

滞在時間が非常に短く、あまり何かを感じるということもなかったように思います。ただ、バスから見える街はヨーロッパの古い街並みと同じでした。食事もホテルでパスタの軽食とか、バスの中で幕の内弁当とかで、アルゼンチンの料理とはなんぞやというとこです。でもステーキが美味しいよとの話だけは何度もされました。食べたかったな。輸入解禁でそのうち日本で食べれるようになると思いますが。

 

【リオデジャネイロ】

リオに行く前から、散々治安が悪いと言われてきました。サンパウロで領事館の方に聞いてもかなり悪いと。空港に到着したのは夜、市内に向かうバスが渋滞に巻き込まれる。その原因は高速道路なのに何人いるかも分からないくらいの物売り。そりゃあ渋滞しますよ。とくに治安の悪いエリアだそうです。

ホテルで朝を迎え、カーテンを開けるとそこには素晴らしいビーチが広がっていました。ビーチで体を焼いたり、バレーやサッカーなどのスポーツをしたり、想像していたブラジルが目の前にありました。ただ、ホテルの真裏はファベーラと呼ばれるスラム街。観光地とスラム、引ったくりなどの犯罪が多いのがよく分かります。治安はサンパウロよりはるかに悪いんだと肌で感じました。

バスでの移動中、あることに気がつきました。リオは人口652万人の大都市です。ただ、世界のどこでも見るようなチェーン店がほとんどありません。セブンイレブン、ケンタッキーなど。マクドナルドとアウトバックステーキは見ましたが、ほんの数件です。ホテルの周りにも地元の商店しかなく、水を買うにも苦労しました。

 

【食事】

食事で印象に残っているのは、ブラジル愛知県人会の役員さんたちと食べたシュラスコ。日本ではあまり行ったことがなく、固くてパサパサの肉がひたすら出てくるものだと勝手に想像していましたが、肉は牛肉、豚肉、鶏肉、羊肉と多岐にわたり、牛肉は様々な部位があり、私の好きなレアの赤身肉がとても美味しかったです。また、濃い味が好きな自分にもあっていたのだと思います。ブラジルの料理は全体的に味が濃いです。

あと、イタリア料理が多いイメージです。最初、自分たちの行程は何でイタリア料理が多いのがと思っていましたが、確かに街の至る所にイタリア料理屋があり、聞くとブラジルでイタリアンはとても人気があり、サンパウロで最も多い料理店はピザ屋だそうです。日本食も人気が出てきて、ブラジルでは手巻き寿司が人気だそうです。もちろんラーメン屋も見かけました。

そうだ。ほぼ毎食出てきた食材があります。パウミットというヤシの新芽です。味はホワイトアスパラですね。どのブラジル人もおススメする感じでした。

 

【開拓先没者慰霊碑】

ブラジル愛知県人会設立60周年記念式典に出席させていただいた時、1世や2世の方と話す機会がありました。その際、最も印象に残ったのは、「戦時中、ブラジルにおける日系移民の皆さんはどのような状況だったのか」との質問に対する答えでした。戦時中は、他の外国と同様に日本人であることに対して非常に厳しい目を向けられたとのことです。そして戦争が終わり、日本は戦争に勝ったという「勝ち組」と、日本は戦争に負けたんだという「負け組」に分かれてしまったのだといいます。そしてその分裂は言葉だけでなく、暴力も生み出し、日本人同士が殺しあうという最悪の状態になってしまいました。その争いが収まったのは1950年代半ば、およそ10年もこの争いは続いたとのことでした。

サンパウロビエンナーレ財団のある公園には、ブラジルにわたり志半ばで亡くなった移民の鎮魂碑があり、調査終了後に手を合わせることができました。日本から船で何十日もかけてここまで来て、日本で聞いていた話と異なる荒れ果てた大地を見て、それでも必死に開墾し、ひたむきに働き、やがてブラジルにおいて「まじめな日本人」という信頼を得て、今のブラジルにおける日系移民の地位を確立した先人たちを思うと、大きな感謝と共に手を合わせさせていただきました。なかなか来ることのできない地で、こうした経験はたいへんありがたいものでした。

 

【最後に】

今回の調査を通して、県の課題解決に向けて多くを学ぶことができました。それに加え、現場で様々なことを直に見て、聞いて、肌で感じることができたのは大きなものがあります。特に、ブラジル愛知県人会や在アルゼンチン愛知県人会の皆様と交流することは、普通の旅行などでは到底経験できないことであり、県議会から派遣させていただいたからこその貴重なものでありました。愛知県には多くの日系ブラジル人が働いています。これまで、私自身が彼らに対して思っていた考えは、今回の南米訪問を機に全く別のものとなりました。同じルーツを持つ皆さんが、愛知県・日本で活躍できるような社会を作っていくことも私たちの大切な仕事であると思います。これからも愛知・日本とブラジルのお互いの発展のために、微力ではありますが尽力してまいりたいと思います。

また今回の調査をもとに、12月議会で質問をさせていただく予定です。私たちが暮らす愛知県の発展と、県民の皆様の豊かな暮らしのために、しっかりと仕事をしてまいります。長い長いブログとなりましたが、これで「ブラジル・アルゼンチン訪問団」を終わります。お読みいただきありがとうございます。