世界はひとつ

昨日、教育委員会との懇談会がありました。国家や常滑の未来にとって教育は欠かすことのできない大切なものです。

平成25年12月、平成26年3月と続けて「学校教育」について一般質問を行いました。その中で「国際社会で通用する人づくりの取組状況、成果はどうか。」という質問をしました。

現在、常滑市は小中学生に外国人招へい事業、年に数回(学年によって異なる)外国人講師を招いた授業を行い、子どもたちに英語を教えています。それと市内の生徒児童に国際交流の機会や体験を与える目的で活動しているTSIE(常滑市児童生徒国際交流推進協議会)という民間ボランティア団体と協力し、国際交流を推進しています。

近年、グローバル化という言葉をよく耳にします。
特にビジネスの分野においては、例えば東南アジアの新興国を舞台に、日本、韓国、中国がビジネスの権利をめぐって争うなどと言ったことは、もはや当たり前の時代になりました。そんな時代だからこそ、企業が求めるのもいわゆるグローバルな人材であり、今までの様な受験のための英語勉強ではなく、コミュニケーションツールとしての英語を身につけなければいけない時代に突入しました。

それはどの国も同じなのですが、民族の特性なのか、教育カリキュラムのせいなのか、他国に比べて英語を簡単に話すことができないのが日本人なのであります。

私は質問の中で小学生の国際理解に関して、例えで、「同じ年の外国人の子どもとアニメを見ると、例え言葉が通じなくても、面白い場面では共に笑う。そういう体験を通じて隣にいるのは外国人だけれども、その前に同じ人間であるということを分かるのということが国際理解の行きつく先ではないか。」と話をしました。また英語は、より相手を知りたい時に必要な単なるコミュニケーションツールだと話をしました。

先日、「YOUは何しに日本へ」という番組を見ていたら、デンマークから来た若者が、日本を旅する最後に同じようなことを言っていました。(デンマークでは高校を卒業した後、将来を考えるための時間が与えられるそうで、彼らは日本へ数カ月旅にきました。)
彼ら曰く、
「外国の文化に初めてふれた時は違いばかりに目がいくけど、人々と接しているうちに気付くんだ。文化が違ってもやっぱり同じ人間なんだってね。僕らはみんな人間なんだから。」
素晴らしい!その気付きが出来るか出来ないかが大切なんだと思います。

子どもたちには世界は広いのではなく、It’s a small world. 世界はすぐそこにあるということを教えていく事がグローバル化への第一歩なのかと思います。

まさに今、世界的なスポーツ大会であるサッカーワールドカップがブラジルで行われています。残念ながら日本は敗退してしまいましたが、世界各国の一流選手がフェアプレー精神で真剣勝負しているのはとてもエキサイティングですし、多くの感動を生み出す素晴らしいものです。

先日、日本戦をたまたま実家で見ていた時、甥っ子が悪気なく「あの人真っ黒」と言った時に、妹がかなり強い口調で叱っていました。良い家庭教育を垣間見ました。性別の偏見と同じように、人種差別は世界で最も卑劣な行為の一つであります。

私が子どもの頃、クレヨンや色鉛筆、絵具の中には必ず「肌色」という色がありました。気になって調べてみたら、2000年前後から大手文具メーカーが協議の結果として「肌色」という呼称の使用を取りやめるようになり、2005年から2006年頃には全てのクレヨンからこの呼称は撤廃されたそうです。肌色は特定の色ではないんですよね。

2020年には世界のスポーツ祭典が日本で開催されます。(ラグビーW杯は2019年ですが…)子どもたちには世界のトップアスリートを目の前で見るだけでなく、世界中から多くの人たちが日本を訪れるその雰囲気を肌で感じ取ってもらいたいなと思います。

グローバル化というと難しいけど、「世界はひとつ」。これからの子どもたちの合言葉になるといいな~。

ABOUTこの記事をかいた人

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。