豊な日本がなくしたもの

タイに逃れたミャンマー難民を日本で受け入れる「第三国定住」の第一陣、3家族18人が成田空港に到着した。この制度による難民受け入れはアジアで初めてで、今後3年間で約90人を受け入れていく。(記事)

到着後に記者会見した難民の皆さんは口々に「うれしい」、「よかった」、「できれば農業の仕事がしたい」と話しているそうで、皆さんうれしそうなので、いいことだと思います。

ただ少し腑に落ちない事があります。

本当に日本で暮す事が幸せなんだろうか?

と言うことです。

それなりの暮らしをしていた外国人が日本に住みたくて日本に来るのであれば問題ないと思います。ただ今回来日した人たちはド田舎で農業を生業とし、ほそぼそ暮していた人たちが来るわけで、いきなり先進国で住むということは大変な事ではないかと私は思いました。

まず生活する為にそれなりに言葉を勉強しなければなりません。農業がしたい、同じような環境で暮したいと思っても、日本の農村地帯でミャンマー語で日本語を教えてくれるところは皆無に等しいのではないかと思います。ですからまずは都会での暮らしから始めないといけないと思いますし、その都会には彼らには見たことがないものも多く、生活するのに疲れてしまうのではないかと考えました。

戦後、日本は焼け野原になりました。
その後、先人の努力のおかげで目ざましい発展をとげ、世界中から羨ましがられる国になりました。食べ物も居住も教育もあります。多くのものを得た後、日本はまた多くのものを失いました。それは家族の愛であり、人を尊ぶ心であり、感謝の気持ちであり…。物とひきかえに、多くの「心」を失ってしまったような気がします。

彼らがその日本の真実に気付いたとき、どう思うのでしょうか。

いまだからこそ日本人も忘れたものを取り返さなければなりません。

ABOUTこの記事をかいた人

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。