英語教育

最近よく保育園や幼稚園、学校教育などを全て英語で行う所があるという報道を見る。楽天やユニクロなどは社内公用語として英語を使用している。

英語というものが古文や漢文などと同様な、受験のための知識として学ばれるのではなく、グローバル社会を勝ち抜く上での最低限のツールとして学ばれるなど、英語の習得に対する意味が日本社会の中で変化してきている。

自分は人よりも多く、英語を勉強する機会を与えていただいた。英語のクラスでは文法、ボキャブラリー、聞き取りなどを総合的に勘案しレベル分けがなされる。クラス分けされた当初は、同じレベルなのにアラビア人なんかは堂々とペラペラ英語を話す。日本人は恥ずかしそうにモゴモゴと話す。良く聞くと、アラビア人の文法はめちゃくちゃで、日本人の文法は義務教育のお陰でしっかりしている。

授業としては文法なども含めてバランス良く勉強するのだけど、学校以外は買い物したり、どこかに行ったり、全てにおいて自分の意思を伝えることがまず必要となる。その時まさに、英語は知識ではなく、意思伝達のツールだと気づく。中学、高校、大学と、何年も英語は勉強してきたけど、自分の出来が悪いからか、英語が意思伝達のツールだという基本的なことを忘れて、ずっと勉強してたような気がする

そういった面で、あくまでも個人的な見解だが、小学校や中学校でイベント的にある外国人教師による授業は疑問だが、幼稚園や保育園で英語を使い生活するというのは良いことだと思う。5歳にも満たない子どもが、必要にかられ、自分の意思を先生に伝えるために英語を使うというのは、まさにツールとして英語を身につけることになると思うし、英語が何かということを何となくでも肌に染み込ませて、義務教育でも英語の勉強をしていけば、少なくとも今までの英語教育よりも生きる可能性は上がると思う。

幸いにして、常滑でもNPOプレママクラブによるSAKAI保育園が本年4月に開園した。英語による保育を行うようで、非常に楽しみです。

こういったことを国策として義務教育の中で行っていくことが、公教育の復活につながるし、グローバル社会の中において必要なのかもしれませんね。

ABOUTこの記事をかいた人

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。