テロから10年

中秋の名月、今宵は月が綺麗ですね。
常滑の夜空もキラキラ光る月が綺麗に見えます。

2001年、アメリカで起きたテロ。当時私はサンフランシスコにいました。目覚めてテレビをつけるとまるで映画のような映像とともに、テロップでは多くの避難勧告と学校等の閉鎖状況を伝えていました。
怖いと思うより、自分の身近に起こった出来事を把握するのに時間がかかりました。
それから10年という長い月日が経ちました。

宗教の違いから起こったテロ行為。
宗教に疎い日本人には事の本質を理解するにはあまりにも難しい出来事です。
そもそも日本人は、たとえば生まれてからは神道、結婚するときはキリスト教、葬式に仏教と様々な宗教を違和感なく受け入れ、自身の人生にその存在は深く関わってきます。もちろん一つの宗教を熱心に信仰する方も見えますが、多くの方が無宗教というか多宗教といえる現状でもあります。

いまだに続くテロとの戦い。信念同士の戦いであるかもしれませんが、一方で意味のない戦いとも取れます。それは到底日本人には理解しうる深い宗教の話であり、私のような無宗教、多宗教の日本人が、どちらが正しいとはとても言えない深い深い骨肉の争いだと思っています。

大きな枠組みで考えると、日本人ってのはホントに幸せな環境で生まれ育っているのではないかと思ってしまいます。

私たちは自分の幸せのために戦い、勝ち取るという欲望というか願いというか・・・そういったものをもっと考えた方がいいのではと思います。それは暴力とか略奪という意味ではなく、自己主張をするということ、大勢に流されるのではなく、自分はどう考えるのか、一人の人間としてしっかり主張していくことが一人一人の確立になっていくのではないでしょうか。

宗教は多くの流れを生みます。

私たち日本人は何を信じるのか。

テレビの報道を鵜呑みにするのではなく、自分自身で様々なことに対して理解をし、行動していくことこそが日本人の確立に繋がっていくのだと思います。
マスコミ主導によるポピュリズムに対し、多くの考えを受け入れることのできる日本人であるならば、それをすべて是としてとらえるのではなく、あらゆる角度から考え、仮に間違っているのではないかという考えを持ったならば、その疑問を解決するために他の意見を聞き、自分の中で進むべき道を決めていくことが大切なのではないかと思います。

世の中に正しいことはどれだけあるのか。
日本人に宗教的な縛りがないのであれば、正しいことは自分自身に問いかけ、導き出すべきものだと思います。

テロから10年、私たちは前を見て進んでいかなければなりません。

ABOUTこの記事をかいた人

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。