明けましておめでとうございます。
様々ありました2010年も終わり、新しい年が始まりました。年が明け、心新たに頑張って行こうと、私の本年の決意を書かせていただこうと思います。
私は常滑市で生まれ育ってきました。
高校・大学生の時には常滑市は退屈な街だと思っていました。卒業したら東京に行って刺激的な毎日を送りたい、そんな思いでいました。
卒業後は東京ではなくアメリカやオーストラリアなどで生活する事になりました。そこでは大学生の時の甘い考えなど通用するはずもなく、生きる事に精一杯になりました。
日々のご飯を食べるために毎日同じ道を通り、同じ仕事をこなして…。
渡航した当初のワクワクした気持ちもなくなり、何故海外で働き、暮しているのか。その意味を考えた時、私は帰国して日本で頑張っていく事を決めました。
帰国して思った事は常滑には家族も友人もお世話になった人もたくさん住んでいるという事。そして今までは思わなかった事ですが、住んでいる一人一人が暮していく為に頑張っているんだという事に気づいた時、私もその一人となるために頑張らなければならないと思いました。
帰国直後で仕事がなかった私は、ご縁を頂き参議院選挙のお手伝いをさせて頂くことになりました。今までも学生の頃に選挙で単純作業などのお手伝いはさせて頂いたのですが、本格的に役割を頂き、選挙を戦うということは初めての経験でした。
選挙の結果は残念でした。
その後常滑市内の介護施設で働きながらも月に数回は自民党青年部の活動を通して、政治に携ってきました。
これからも政治に携りたい、その思いがより強くなった頃、大変お世話になった介護施設の社長に思いを伝え、退職する事になりました。
退職後は当時の衆議院議員伊藤忠彦事務所で秘書として働くこととなりました。
秘書は完全に体力勝負だと思えるほどハードな日々でしたが、そこから得るものは多く、またたくさんのご縁を頂き、多くの人たちから多くの事を学ぶ事が出来ました。もちろん先生からも様々なことを教えていただきました。
秘書になった頃から議員になりたいという思いがありました。
ただその思いが何となくぼんやりとしたものでしかありませんでした。もっと多く政治と携る中で、ぼんやりとしたものがはっきり見えたら選挙に出ようと思い、日々秘書業務に励んでいました。
私の今の思いは、
北汐見坂や飛鳥台や大鳥町などに新しい家が沢山建ってきました。私と同年代の皆さんはこれからここで一生暮していく事になるのでしょう。
ずっと住んでいく街だからこそ、ああして欲しい、こうして欲しいという思いが出てくると思います。私はそうした同年代の皆さんの思いを形にしたいのです。
華やかではないこの街を退屈だと思い、私のように外に出て行きたいと思う若者がいることでしょう。私は大いに外の世界を見てこればいいと言うでしょう。そして常滑に戻ってきた時に、こんなに素晴らしい故郷が自分にはあるんだと思えるような街づくりがしたいのです。
この街で暮していく為に真面目に頑張っている皆さんが報われる、正直者が馬鹿をみない、当たり前の事を当たり前にしたいのです。頑張っている人たちに光があたる、そんな世の中にしたいのです。
私はこれらの思いを胸に、
本年4月に行なわれる常滑市議会議員選挙に立候補します。
私のこの思いを実現する為には、多くの方にご迷惑をお掛けする事になると思います。どうかご理解いただき、またご指導いただきながら頑張って参りたいと思います。
皆さまにおかれましても、本年が飛躍の年になりますようご祈念申し上げて、年頭のご挨拶ならびに私の決意とさせて頂きます。
伊藤辰矢