一年たって。

東日本大震災から一年が経ちました。
震災により命を落とされた方、またそのご遺族の方、被災された方に心よりお悔やみ申し上げます。

さて今回の震災に対し、何から書き出そうかと考えるだけで胸がいっぱいになります。
一年前のその時、私は選挙の準備に追われていました。まさにその時、今思えば選挙のタスキの打合せで、お隣知多市の旗屋さんにいました。眩暈を感じましたが気のせいだと思い、まさかこんなにも大きな地震が起きているとは思わず、車に戻ったのちツイッターで大きな地震があったことを知りました。

その後、仕事を済ませて会社に戻ったのち、この日本で起こっている惨状をテレビでずっと見続けていました。映像からの衝撃があまりにも自分の生きてきた現実からかけ離れていて、何か作られた映像を見ている、そんな思いしか抱けませんでした。
そしてその日から数日間、惨状や生存状況を伝える各局の映像を、見続ける日々でした。
同時に新しい情報収集手段であるツイッターなどでリアルタイムの国民の声を聞くこととなりました。実際どうかはわかりませんが、その中にある多くの美談が涙を誘って仕方がなかったのを今でも覚えています。

自分のブログを確認しました。
2011年2月22日に起きたニュージーランド・クライストイチャーチでの地震に関して記述があります。
◆伊藤たつや「不断の努力」 2011年2月24日「悲惨な大地震」http://p.tl/dwzb

何となく思っていた自分の地震に対する思いがそこに書かれていました。まさか一月も経たないうちに日本に大きな地震が来るとは思ってもいませんでした。

2011年3月12日、「節電しましょう!(伝言掲示板一覧)」 としたブログがあります。ニュージーランドのときと違い冷静に状況判断出来ず、何か自分にという思いだけが先走り、このようなブログになったのだと思います。実際に節電が必要だったのかどうか。こういうブログが多くなればなるほど、正しい情報が欲しくなるものです。この時思ったのは、
政府がいち早くオフィシャルの情報を国民に示す
これが一番情報統制がとれ、国民が惑わされることがないのかと感じました。もちろん政府も情報把握には苦労していたと思いますが、後の原発関係の情報にしろ、あの時ほど「政府の公式見解」というものが必要だと感じたときはありませんでした。

被災地に思いをはせながら選挙を戦い議員にさせて頂いたのち、新しく結成した会派「創造未来」で6月5、6日に被災地に支援物資をお届けさせていただきながら訪問しました。
すでに3か月近くも経ったにもかかわらず、テレビでは見ていましたが、実際に見て想像を絶するその惨状に言葉を失いました。

戦後の日本

こんな言葉が私の頭の中を駆け巡るほど、焼け野原というのがぴったりな何もかも押しつぶされた土地がそこにはありました。
戦後の日本、こんな状態から世界有数の経済大国を作ってきたのかと、先代への敬意が頭をよぎりました。今の自分たちにそれが出来るのか、不安に思え、それを成し遂げた先人を改めて敬うほど、どこから手を付ければいいのか分からないほどの悲惨な街跡がそこにありました。石巻市の漁港を見たとき、会派のメンバーと呆然としたのを忘れることは出来ません。

この一年間、日本はひたすらこの震災に目を向け、対応をしてきました。
遅々として進まない状況がマスコミから聞かれる中、実際に被災地が今どのような状況なのか、私も今一度自分の目で確認したいとこです。
言い方は悪いかもしれませんが、今回の震災を今後に繋げ、生かしていかなければならないと私は思っています。

震災後の市議会定例会の一般質問で防災についてやらせてもらいました。地域がそれぞれ防災に備えていかなければいけない、その思いは行政と変わりませんでしたが、何か温度差を感じずにはいられませんでした。それを改善するためにも、専門職としての防災監を起用してはと訴えました。
一つのきっかけを提案したまでです。
防災に対して今だからこそ熱い思いを持って取り組んでほしい、ただそれだけのことです。

今後日本として復興に対し被災者、被災地、国民、政府、民間、団体などなど。
一切関係なしに前へ前へ進んでいってほしい。マスコミもそれに対ししっかりと協力すべきと思う。
一年たって今被災地に何が必要か、それをしっかり伝え、募り、国民が応え、被災地に協力する。
一年たって今一度一つになる事の大切さを感じます。
全てが協力し世界の中での日本の地位を深めていかなければなりません。

2012年3月11日、
多くの犠牲のもとに、私たちは今の日本をたくされています。
決してこの事を忘れることなく、次の世代へと伝えていき、より良い日本を築いていかなければならない、そんな事を考える一日です。

今こそ一つになり、震災があったと言えどそれを立て直し、世界に誇れる日本を築きあげましょう!

※このブログは事前に書かせていただき、震災の時刻に合わせて掲載させていただきました。一年たった震災発生のその時刻には、その場にてしっかりと被災者のご冥福をお祈りさせていただきます。

ABOUTこの記事をかいた人

衆議院議員秘書等を経て2011年に常滑市議会議員に初当選。2015年4月の選挙において愛知県議会議員に初当選。